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2010年05月30日

海外生活のススメ(36)  言いなりの文化

日本はずっとアメリカの言いなりになって来たが、その理由は、ひとつには日本に言いなりの文化があるからだと思う。もちろん日本人も、言いなりは相当格好悪いと思っているだろう。しかし、それでも言いなりの人が多いのは、言いなりになっているという認識がないからだろう。

 言いなりが分かり難いのは、日本では協調性が求められ、言いなりと協調性の区別が付き難いからだと思う。この両者の違いを明快に答えられる人は、言いなりになっていない人だろう。残念なことに、私もこの区別があまりよく分からない。

 しかし、何となくだが協調性を持ちつつ言いなりにならない人は、主体性を持っており、いろんなことに積極的な気がする。なぜなら、そういう面がなければ、協調性を持ちつつ言いなりにならないようにはできないと思うからだ。したがって、日本人は主体性や積極性が乏しいということになるが、皆さんの意見はどうだろうか。
 
日本人は、組織の中に入ると上司の言うことは全て聞くべきだと言いなりを義務と考え、結婚して夫唱婦随(婦唱夫随)が仲の良いこととして言いなりを相手に求め、出世しようと思えば一番の方法は逆らわないことだと言いなりに徹する。だから日本では、言いなりにならないことはとてもリスクが高く、この文化から抜け出すことはかなり難しい。


写真) シルク市場(杭州市) 


2010年05月18日

海外生活のススメ(35)  幸せの根源

杭州市では、年に一回、市在住外国人に中国文化を紹介するイベントが行われている。私は今回始めて参加したが、そのプログラムの一つに中国人宅を訪問するというものがあった。訪問先は、すでにリタイアして刺繍を趣味としている50代後半の女性のお宅だった。

訪問して、まずいろんな刺繍の作品を見せてもらった。素人っぽいけどそれなりの出来映えで、最初は普通にその話になった。しかし、こちらがあまり興味を示さなかった所為もあるだろうが、刺繍の話はほんの少しで終わり、後はほとんど今彼女が住んでいる家の話になった。

彼女の話によると、その部屋は6年前に53万元で購入したものだが、今は買値の5倍強に値上がりしており、早い時期に買ったのが良かったようだ。話を伺っていて、彼女が自分の家を持っていること、その家の資産価値が増えたことが、いかに幸せをもたらしているかが分かった。

中国では、家の値段が暴騰したことで、早めに買った人はそのことをとても喜んでおり、逆にこれから買う人はとても悲しんでいる。購入時期というほんの一寸したことが大きな差を生んだのであり、彼女は運が良かったのだが、簡単に資産家になるとそのラッキーをキープすることが難しい気がした。


写真)傘の博物館(杭州市) 近くに同じく杭州名物である、はさみ、扇の博物館もある。


2010年05月09日

海外生活のススメ(34)  言語

中国語の文章は、しばしば複数の意味に受け取れる場合があり、しかも文脈からもどれが正しいか判然としないことがある。そういうときは中国人に尋ねるが、教養ある人でも「私も分かりません」ということがあり、中国語のアバウトさに驚かされる。

 それに比べ日本語は、語尾や助詞、文体などがちょっと変わるだけで意味が違ってしまうが、文章に問題がなければ文脈からほぼ正確に文意を捉えられる。だから、微妙なことや複雑なことも表現が可能であり、つまり中国語は情報の蓄積、共有化が難しい場合があるが、日本語はそういう問題が少ないように思える。

 しかし、日本語はその精密さの所為で外国人にとってはかなり厄介で、日本語をいくら勉強しても細やかなところ、微妙なところはかなり分かりづらいだろう。もしかしたら、日本の技術やサービスがガラパゴス化したのは、日本語の精密さや微妙なニュアンスへのこだわりが関係しているのかも知れない。

 そうだとすれば、逆に中国語は大雑把だから、商品やサービスが粗雑になるのも説明が付く。それは半分冗談だが、言葉が人の心やモノなどにいくらかでも影響するのは確かだろう。日本の若者の言葉が乱れていると言われるが、ならばやがてそのことが心やモノに影響して来るのだろうか。


写真) 漢方薬局(杭州市)


2010年05月01日

海外生活のススメ(33)  大学生

中国では小学校から大学に入るまで、ほとんど勉強に明け暮れる毎日を送っているので、大学生でも個性があまり育っていない。勉強は記憶中心で、しかも一つの見地から教訓的に学習しているので、話をしても同じような反応しか返って来ないことが多い。だから、人によって意見の違うことが大事だということもあまりピンと来ないようだ。

日本の学生にも、型に嵌ってしまうのが楽なので、有名大学を目指すことだけ考えて受験勉強に逃げる者がいるが、中国の学生は大学受験へ向けて勉強すること以外に選択肢がない。受験勉強しないことは社会からのドロップアウトを意味するので、親や先生は子供に余計なことは考えないで勉強に励むことを求める。

日本もかつて、社会が産業化して行った頃はそういう風であった。受験勉強することが何より大事だった時代で、現在、社会のトップ層にいるのがその頃の人たちだ。しかし彼らがその後、時代の変化を捉えて柔軟、適切に対応して行ってるかというと、今の日本の状況を見る限り疑わしい。

まして、今はネットの時代で、知識の多さはあまり意味を持たなくなった。重要なのは、知識を活用する能力であって、それゆえ学生はまず自分の身近な問題についてきちんと向き合うことから始めるのが良いだろう。中国の大学生はよく勉強するので知識やスキルは高いが、詰め込んだだけで果たしてそれらを十分に活かせるのだろうかと思う。


写真)  団地の中にスペースがあって、いろんな文化サークル活動が行われている(杭州市)。